2008年 07月 13日
環境の変化
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中学になった僕らだが、僕はクラスメートよりもタカちゃんとの方が仲良かった。
いつも暇になると弟を連れて遊びにいった。
僕の家から彼の家までの距離は多分2.3キロは間違いなくある。
だけれども僕はその距離を全く苦にせずに通った。
彼の住んでいる10階建てマンションの7階。
僕はそこに遊びに行き、近くの公園でボールなどを蹴ったり、ゲームをした。
時にはでかいマンションを使いマンション内で鬼ごっこをやった。
弟を鬼にして10階建ての階段を上り下りして二人で逃げまくった記憶があるけれども、
小学校2年生の弟とする遊びじゃないよな・・・と今そう思うw
中1の夏、僕はタカちゃんの母親に進められ「四国の実家に遊びに来ないか?」と言われた。
この頃の夏休みなど、ただ家でぐたぐたすることしか脳がなかった僕は二つ返事でOKした。
僕にとって初めて本州から離れる出来事。
彼の母親の実家は愛媛県の小さな島。
1時間ぐらいあれば一周できてしまうほどの小さな島なのだが僕は胸が躍った。
家をでてすぐに見える真っ青な海はある意味誰もが一度は夢を見る環境だったから。
朝起きて寝起きに覚ましにタカちゃんと彼の1個下の妹とカードゲームをする、
その後朝食を取り浜辺に止めてある手漕ぎボートを海まで運び海へ漕ぎ出す。
それから昼になるまで釣りをしたり海で泳いだりした。
遠泳と称して隣の島まで泳いだ事が一度だけあったが、
アレは生死の危険を感じるとお互いで認識して二度と遠泳はしなかった。
釣れた魚は、キス、ぐち(イシモチ)ボラなどだったと思う。
たまにつれるカラコゲ(毒魚)はタカちゃんから刺された体験談を聞いていた為、
僕は自分で対処するのが嫌で、タカちゃんに釣り針からはずしてもらった。
そんな僕をからかうようにタカちゃんはボートの周りを泳いでいる僕に向かい、
「あ、カラコゲが側で泳いでいる!」とか脅して僕は慌ててボートに飛び乗った。
夜は少しだけ違った。
中学生という年頃がそうさせたのだと思う。若かれしエロトークをした。
僕は基本的に念入りに箱に詰められて育った子ですので、そういう行為を知らなかった。
サンタクロースだって小5か小6まで信じていたのだから。
(信じてればプレゼント親からとサンタさんから2個もらえたからw)
「はあ?口にそんなの入れるの?あほじゃね?」
「んばか!あるんだよ!この前変な雑誌で見た!」
「きたねーだけじゃね?」
「んー・・・」
とか、好きな女の子の話もした。
当時好きだった子は山田さんというどこにでもいそうな名前の女の子だった。
それで中学生ばりの想像話で盛り上がった。
「んで?お前は何したいんだ?その子と。」
「えーよくわからねーよ!」
僕はやはりうぶだった為、好きな子をどうすればよいかはわからなかった。
小学生の時にプチ彼女みたいな子はいたけどそれは全然ただのお友達だったし、
そもそも僕にはそういう情報というのが全く流れてこなかった。
この前チュチュともそんな話したけど、自慰行為知ったの中一の終わりだしねw
でも、頭では理解していなくてもこの年頃の男なんざ好きな女の子の事を、
布団の中で考えると当たり前な現象が起こるわけでありまして、
意味もない見せ合いっ子していた記憶が残っているけどある意味やばい気が今する。
ちなみに僕はここでも勝てなかったというか・・・うんあんなの無理^^
とてつもなく充実して楽しかった2週間はあっという間にすぎ僕は家に帰る。
母親に言われた一言は「豚になって帰ってきたね。」だった。
実家の食事は小食だったのだが四国でガンガン食べるようになったからだと思う。
お陰で中1>中2で15センチ身長が伸びた。
その後も塾が一緒だった僕らだから特に離れた感じは受けなかった。
僕らは林塾という塾に通っていて週3回勉学に励んだ。
そして塾を辞めた後も何故かまた同じ塾に僕が入ってきて・・・
でもそこの塾で僕は少しだけ空気の違いを感じてしまう事になる。
僕は中学の友達の隣で受講していて、彼は彼で中学の友達の隣で受講していた。
そんな些細な違いだったのだけれども、その差は少し大きかったのだと思う。
お互いがお互いの学校で楽しく過ごしている事、そこに生活の中心が在るということ。
いつまでも同じというわけではなかったのだ。
そうして中学を卒業した僕ら。
勿論同じ高校に通う事もなく、しばらく僕は彼の側から離れる。
いつも暇になると弟を連れて遊びにいった。
僕の家から彼の家までの距離は多分2.3キロは間違いなくある。
だけれども僕はその距離を全く苦にせずに通った。
彼の住んでいる10階建てマンションの7階。
僕はそこに遊びに行き、近くの公園でボールなどを蹴ったり、ゲームをした。
時にはでかいマンションを使いマンション内で鬼ごっこをやった。
弟を鬼にして10階建ての階段を上り下りして二人で逃げまくった記憶があるけれども、
小学校2年生の弟とする遊びじゃないよな・・・と今そう思うw
中1の夏、僕はタカちゃんの母親に進められ「四国の実家に遊びに来ないか?」と言われた。
この頃の夏休みなど、ただ家でぐたぐたすることしか脳がなかった僕は二つ返事でOKした。
僕にとって初めて本州から離れる出来事。
彼の母親の実家は愛媛県の小さな島。
1時間ぐらいあれば一周できてしまうほどの小さな島なのだが僕は胸が躍った。
家をでてすぐに見える真っ青な海はある意味誰もが一度は夢を見る環境だったから。
朝起きて寝起きに覚ましにタカちゃんと彼の1個下の妹とカードゲームをする、
その後朝食を取り浜辺に止めてある手漕ぎボートを海まで運び海へ漕ぎ出す。
それから昼になるまで釣りをしたり海で泳いだりした。
遠泳と称して隣の島まで泳いだ事が一度だけあったが、
アレは生死の危険を感じるとお互いで認識して二度と遠泳はしなかった。
釣れた魚は、キス、ぐち(イシモチ)ボラなどだったと思う。
たまにつれるカラコゲ(毒魚)はタカちゃんから刺された体験談を聞いていた為、
僕は自分で対処するのが嫌で、タカちゃんに釣り針からはずしてもらった。
そんな僕をからかうようにタカちゃんはボートの周りを泳いでいる僕に向かい、
「あ、カラコゲが側で泳いでいる!」とか脅して僕は慌ててボートに飛び乗った。
夜は少しだけ違った。
中学生という年頃がそうさせたのだと思う。若かれしエロトークをした。
僕は基本的に念入りに箱に詰められて育った子ですので、そういう行為を知らなかった。
サンタクロースだって小5か小6まで信じていたのだから。
(信じてればプレゼント親からとサンタさんから2個もらえたからw)
「はあ?口にそんなの入れるの?あほじゃね?」
「んばか!あるんだよ!この前変な雑誌で見た!」
「きたねーだけじゃね?」
「んー・・・」
とか、好きな女の子の話もした。
当時好きだった子は山田さんというどこにでもいそうな名前の女の子だった。
それで中学生ばりの想像話で盛り上がった。
「んで?お前は何したいんだ?その子と。」
「えーよくわからねーよ!」
僕はやはりうぶだった為、好きな子をどうすればよいかはわからなかった。
小学生の時にプチ彼女みたいな子はいたけどそれは全然ただのお友達だったし、
そもそも僕にはそういう情報というのが全く流れてこなかった。
この前チュチュともそんな話したけど、自慰行為知ったの中一の終わりだしねw
でも、頭では理解していなくてもこの年頃の男なんざ好きな女の子の事を、
布団の中で考えると当たり前な現象が起こるわけでありまして、
意味もない見せ合いっ子していた記憶が残っているけどある意味やばい気が今する。
ちなみに僕はここでも勝てなかったというか・・・うんあんなの無理^^
とてつもなく充実して楽しかった2週間はあっという間にすぎ僕は家に帰る。
母親に言われた一言は「豚になって帰ってきたね。」だった。
実家の食事は小食だったのだが四国でガンガン食べるようになったからだと思う。
お陰で中1>中2で15センチ身長が伸びた。
その後も塾が一緒だった僕らだから特に離れた感じは受けなかった。
僕らは林塾という塾に通っていて週3回勉学に励んだ。
そして塾を辞めた後も何故かまた同じ塾に僕が入ってきて・・・
でもそこの塾で僕は少しだけ空気の違いを感じてしまう事になる。
僕は中学の友達の隣で受講していて、彼は彼で中学の友達の隣で受講していた。
そんな些細な違いだったのだけれども、その差は少し大きかったのだと思う。
お互いがお互いの学校で楽しく過ごしている事、そこに生活の中心が在るということ。
いつまでも同じというわけではなかったのだ。
そうして中学を卒業した僕ら。
勿論同じ高校に通う事もなく、しばらく僕は彼の側から離れる。
by yoshio5517
| 2008-07-13 01:19
| 昔話